親がちゃ
親がちゃ

親がちゃ

私はこの言葉が大っ嫌いである。

【親がちゃ】とは?
これはソーシャルゲームのキャラクター入手方法「ガチャ」になぞらえ、子どもの立場から親は自分では選べない、どういう境遇に生まれるかは運任せという意味を表現したこと。

うーん。。。

虐待は連鎖するもの。どこかで終止符を打ったら終わりにできる。

親がちゃにはずれると親に身体的虐待を受けたり心理的虐待を受け、社会的保護も受けられず、身体に傷を負ったり、まともに生活することが困難になることもある。幸せに暮らすとはほど遠い生活に。。

私の母家系はみな身体的虐待を受けて育った。それが当たり前であった。叔父は虐待から逃れられず、麻薬に手を染めた。感情をコントロールできずに警察沙汰にも。何度もお世話になった。
私は幼く、記憶にないが祖父は酒乱でよく家族に手を挙げていたと話を聞く。母も身体的虐待を祖父に、心理的虐待を兄弟に受けていただろうから、心の傷は深いだろうし、愛というものを知らないが故のアダルトチルドレンなんだろうと思う。
虐待の裏側を覗けば、虐待をしている当人も虐待被害者であり、その行為を虐待と気付いていないことがほとんどである。
正しい知識と客観視が出来れば虐待を未然に防ぐこともできるし、その行為を伝えて辞めてもらうこともできる。
声を上げなければ無いのと同じだが、声を上げても被害者が社会的保護を受けられない社会もどうかと思うのよね。

人それぞれ、生きていれば辛いことがある。しかし一生は続かない。
一生は続かないが、この事実に気付き、行動できなければ、苦しみは一生付きまとうかもしれない。
過去と向き合い解毒していくことで自身の傷を癒し、幸せにできる出会いや生き方を知る、人生に悲観せずにこんこんと自身と向き合う。

私は誰かを変えることが出来ない。
誰かを助けたかったら自分自身を幸せにすることが第一。
まずは自分自身に耳を傾けて。

私は自分自身を幸せに出来る。そして、関るみんなも幸せであってほしい。いつもそう願う。
親がちゃはずれであったとしても、そこからの人生の学びは深く、広い。
だからこそ、【親がちゃ】という言葉で片付け、悲観するものでない。

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