多くの挫折から
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もくじ

沖縄に呼ばれて

大学中退や就職活動の失敗ですっかり生きる希望をなくしてしまった。そんな時ふと【沖縄】が浮かんだ。それも沖縄本島ではなく離島。きっかけは、祖母が幼少期に連れて行ってくれた沖縄本島だった。なんとなく沖縄本島ではなく離島に行きたいと思っていたので離島に決めた。最初はリゾバを利用して西表島にある由布島へ。食事は一日一食付き、寮は無料(WI-FI)付き。何不自由することかなかった。島にコンビニが無く不便という事以外は。虫が苦手な人にはお勧めしません。なぜなら人間の数より圧倒的に虫の数のほうが多いので。仕事は朝8時から夕方17時まで。月4日休み。繁忙期は残業アリ。夏になれば夏至が来るまで20時まで明るいことも。仕事終わりにみんなで海へ泳ぎに行き日が暮れる20時に海から出て家へ帰る。綺麗な海がすぐそこにあり、嫌な過去も海を見ると不思議と忘れることが出来た。一緒に住んでいた友人も最高であった。女子寮は男子出入り禁止であったが暗黙の了解で毎日宴が行われていた。不思議と寮の友人はみな音楽が得意で、自分の楽器を持っていた。その楽器は、三線に始まり、小型ハープ、アコーディオン。どれも魅力的でその場にいる人たちを魅了していた。半年の契約勤務が完了すると飛行機の交通費が戻ってくるので、少し都会から羽を伸ばしてみたい人にはお勧めです。

音楽は人を幸せにする

沖縄へ行くお供にアコーディオンを持っていった。アコーディオンを始めたきっかけは、実家ではアップライトが捨てられるタイミングでアイルランド民謡を見に行ったことである。奥深い音色、心地よいリズム。一瞬でアコーディオンの虜になった。初めは18ベースの小さいアコーディオンで始めた。とにかくアコーディオンは難しい。左手では蛇腹を引くのとベースを弾くの一緒に、右手では鍵盤を弾く。毎日少しずつ上達していった。西表島ではオバーのサロンで弾かせて貰っていた。

時には大道芸人の様に、ジャグリングが出来る友人と一緒にパフォーマンスをしたことも。年齢や性別に関係なくパフォーマンスを見た人たちは目を輝かせ、耳で楽しんでいた。その感覚が忘れられず今もひっそりとボランティアを続けている。彼とまたパフォーマンスを組めるのなら全国をまわりたい。

過去の虐待を受けて、毎日精神が安定しない。安定剤の様に昔から音楽を聴いたり奏でたり。感情の蓋が外されたように音楽の流れとともに感情も流れ出た。音楽は全ての感情を包み込んでくれた。私にとってなくてはならないものになっていた。

師匠との出会い

私が三線を習ったきっかけは西表内のホテルで働いていた時に出会った上司が三線の教師免許を持っていたからである。最初は『お前に三線は教えん!』の一点張りだった。その訳は、過去に弟子が教えてほしいと来たのに急に地元に帰ってしまい、せっかく教えたのに悲しかった。それから人に教えない。と心に決めたそう。そんなことを知っていても私は教わることを諦めなかった。ついに弟子入りする条件を勝ち取ったのである。その条件は、八重山古典音楽のコンクールに出て入賞することを目標として課題曲を6曲を暗唱し合格すれば弟子入りを認める。という事であった。

(やるぞー!)と意気込んでいたが、最初の関門、工工四の読み方を覚えること。八重山の昔の言葉を正しく発音すること。工工四は慣れてしまえばこっちの門であるが指を押さえる間所も耳で覚える、身体で覚えるしかなく慣れないうちは難しかった。また、見たことも聞いたこともない言葉を発音するのは至難の業であった。調弦用に買おうとした電子機器は没収され、代わりに調子笛を与えられた。テストは大勢の島人の前で行われた。試験は6曲の中から1曲を指定されたものを歌うという事であった。たくさんのお偉いさんが見ている中歌うのは死ぬほど緊張した。無事に歌い切ることが出来、ようやく弟子入りすることが認められた。古典音楽の門を叩いたのは良いがこれが仇となることもある。師匠は本当に適当な人間であった。人情は深いがその適当さが許せなかった。しかし、師匠の兄弟弟子の皆さんや親師匠の方に支えてもらい今日まで来れました。コロナが始まる前までは、宴があれば三線、唄、笛が必ず付いてくる。どれをとっても右に出るものはいないほど。本当に楽しませて貰いました。心が躍るとは正しくこのことでした。それから、私の夢は古典音楽を継承し、世に残していくことに。。下の世代に繋げることが彼らに恩返しになるのだ。

家族ってなんぞや!

私の家族は上辺家族だと思っているので沖縄に住むまで家族の良さを知らなかったんです。いつもお世話になっている兄弟師匠の皆さんの家庭が大所帯(親友が親戚になったり)子は宝という事を象徴しているかの様。私を家族の様に慕って下さってから家族って素敵だなと思うようになりました。過去のトラウマからか、こんな自分は子供を不幸にさせてしまうのではないかと思っていましたが、家族という言葉に前向きに捉える様になりました。

人生はご縁です。気になったことに対して行動するとおのずと道は開けます。その時に出会った人々をたいせつにすれば心が豊かになるし、後に人生が変わります。私は人生を彩のある日々にしたいのです。習得中の古典音楽を世に継承する、虐待被害者が生きやすい社会、加害者から虐待を産まないそんな世界を作っていきます。その中で出会う皆さんとのご縁は大切にしていきたいです。

過去から脱却することは容易いことではありません。しかし、過去にずっと縋っていても良いことは起きません。むしろ、身体や心が蝕まれるだけです。自分を守れるのは自分です。過去に縛られずに過去のご自分と向き合って行きましょう。今は苦しくても少しずつ楽しい日々に代わっていきます。生きることを諦めなくて良かったと思える日が来ます。苦しくなったら、友人でもいい、SNSでもいい。とにかく感情を吐き出しましょう。受け止めて貰い、その感情に気付きましょう。より良い一日を過ごす為に生きて行きましょうね。

兄の友人からの性的虐待

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