みなさんこんにちは。あおいです。
みなさんは、性的虐待という言葉をご存じですか?
もしくはそれが後に与える影響はご存じですか?
もし性虐待という言葉を聞いてイメージを浮かべたとしても実際はその想像以上に複雑なものとなると思います。
今回私が受けた虐待について赤裸々にお話していきます。
※当事者の方はトラウマを思い出す引き金となりうるのでご注意ください。
『被害を誰かに打ち明けたときに、「そうか、辛かったよね。苦しかったよね」と、皆口をそろえて同情した。違うそうじゃないんだ。こんなんじゃ何も変わらない。』そう思った。しかし当事者しか心の痛みや生きることの辛さは理解できないんだ。と痛感した
もくじ
虐待を受けたこと
私が性的虐待に遭ったのは4歳の時だ。幼稚園から帰り少しすると、7個上の兄も小学校から帰宅した。そして兄の友人Aも一緒だった。後にこの人が加害者になるとは知らずに、私は無邪気に話しかけていたのだろう。
ある時兄の友人Aが私の部屋に入ってきてこう言った。
A「今から楽しいことしよう」
そう言って、部屋のロフトの階段を登った。
A「これからやることは誰にも言っちゃだめだよ。内緒だよ」
と、私に伝えた。これからやることを知らずに。
Aは私にピアノのクロスで目隠しをし、視界を塞いだ。
この時点で恐らくAは【やってはいけないことをしている】という自覚は有ったのだという認識である。友人の妹であること、内緒という言葉を使えばだれにもいわないだろう。そんな浅はかな考えであっただろう。
Aはズボンを脱いだ。
私はなんでズボンを脱いだのだろうと思った。
Aは息荒く、興奮していたそして自分の陰部を幼少のわたしの口に含ませた。
そのままどれくらいの時間が経ったかわからなかった。ただただ恐怖で早く終わらないかと思っていた。恐怖で声も出せず、体でさえも硬直した。それから、幼い私の体を触りだした。そして腹部を触りだしたのだ。腹部から下に掛けて痛みを感じ、顔を歪めるもその手を止めることは行為が終わるまでなかった。Aは行為が終わるとさっさと部屋を出ていき、何事もなかったように兄と遊び始めていた。事後、わたしは口の中は気持ち悪く、腹部は痛みがある。排尿時に痛みを感じ、ショックで少しの間立ち直れなかった。自然に頬を涙がつたっていた。
時には、トイレで行為をすることもあった。兄が不審に思いドアをノックし声を掛けてくれたが、Aは「なんでも無い」と、言い行為がおわるまで、それをやめることをしなかった。
ほんの数分の出来事であっても私には、一生忘れることのできない忘れたい記憶であることに間違えはない、治せるならすぐにでも治したい程深い傷を背負って生きている..
誰にも伝えられなかった過去
私が性的虐待を受けたのは4歳から5歳までの一年。
幼い頃は行為が理解出来ずにいた。嫌と言うことも出来ずに。
痛みだけが私の体を蝕んでいく
それがきっかけか、幼少期はしゃべることも出来なくなった。
性的虐待に加えて家族からの心理的虐待があり、幼少期から、私の居場所はここには無いのだと感じることが多かった。(母の家庭も身体的虐待が日常的にありました。父親が酒乱でよく暴力を受けていた。とのことです)
私の父親は血のつながった子供に一切興味を持ちませんでした。幼少期に父親らしく気にかけて貰った記憶がなく、私たち兄弟は寂しさを常に感じていました。
母や姉からは暴言や自己否定、人格否定をする様な扱いをされていた。
6歳の頃から希死念慮を持ち、日々どうやったら死ねるかを考えてみては実行していた。
ただただ苦しくて、そんなことを考えていたら、扇風機のコードで首を締めていたなんて時もあった。当然ながら幼い子の力では死ぬことも出来ずに。。。二階の窓から見える外。ここから落ちたら痛い思いをせずに死ねるだろうか。そう思いながら過ごしていた。幼少期から生きる希望を持てずにいた。
中学に上がると部活が忙しく過去を思い出す暇も無かった。高校時代まで感情に蓋をして生きていた。そう、あの出来事に出会うまでは…。
高校に上がり、地元でアルバイトを始めた。
そのアルバイト先でバッタリ加害者に会ったことから徐々に虐待を受けていたのを思い出す。
ここからが地獄の始まりだった。
耐え難い心の苦しみ。突然襲われる希死念慮、自己肯定感の欠如、PTSD、フラッシュバック。自分の性がわからない。。いつしか生きることに苦しみを味わうように。
ネガティブ思考から脱却出来ずに自分はダメ人間だと思うようになる。過去と向き合えず、暗闇から抜け出せない自分が何年も続いた。
毎日何でか暗い気持ちになり、涙が止まらなかった。生きるのしんどいな。そう思っていたが、みんなも思春期で通る道だと思っていた。
それから時を経て20歳になり、ようやく気づく。
周囲は幸せそうなのになぜ自分は暗闇から抜け出せないのか。悩み苦しんだが答えはひとつ。
それは性的虐待を受けたからでは?ということに
当時は自分が女では無い気がしてFTMなのかもしれないと自分を嫌っていたときがあったが性転換しても自己犠悪は収まらない。だったら自分と向き合って生きて行こう。
外見のコンプレックスは一生ついて回るが、内面を磨き、成長していくことが大事なんだ。と知っていたから。
その時の写真がこちら↓
※FTM=Female to Male 性同一性障害(性に不一致があること)
とにかく自分の体、胸があることが許せなかった。男性に女性としての目線、考えを求められることすべてが受け入れがたく吐き気を催すほど苦手であった。男性と会話することは可能であってもそれ以上は受け入れられず、もし男性と付き合うなら死んだ方がましだと思うくらいである。(その思いは今も昔もずっと変わらない)その時は情緒も安定せずに売られた喧嘩を買ったりもしていた。家にもほとんど帰らず、仲間の家に居候させて貰ったりも多かった。
かっこいいと言われることが自分の存在意義だったのかもしれない
カミングアウトをする日々
虐待に遭ったことを包み隠さず人に伝えた。
なぜなら『ありのままの自分』を見てほしかったからだ。
今の自分があるのも、過去のトラウマがあってなんだ。と、伝えた。すると、みな口を揃えて「そっか、苦しかったよね」と伝えてくれたが、私は心から嬉しいと感じたことは一度もなく、その言葉に対して違和感でしかなかった。埋められない壁を作り出されたかのようであった。それもそのはず。みな、生きていることに苦しみを感じていない。常に幸せを感じれる人間なんだから。私は異常だもんね。そう思ってきた。変えられない過去がある。
しかし、諦めずカミングアウトを続けることで心境に大きな変化が見られた。
当時の自分の感情に気付けるようになり、自分の心に寄り添えるようになった。
過去の虐待に気づいた当初は、なんで自分がこんなに苦しい思いをしなければいけないの?生きてる価値あるの?と、自分を追い詰めるばかりで生きている意味が見出せませんでした。
そんな時はひたすら趣味に没頭した。アーティストがゾーンに入るという感覚と似ているかもしれない。ネガティブな感情の時ほど芸術に入り込む。
次第に趣味を通して仲間が出来るようになり、自然に自分を表に出せるようになった。
それは私にとってプラスであった。
趣味仲間は共通の趣味を持つことで年齢や性別の関係無しに接してくれた。そして自分自身を見てくれた。どんな自分も愛してくれた。仲間のおかげで『ありのまま』の自分でいても良いんだなと、思えるようになった。仲間は当時の私にとって居場所で家族よりも落ち着く存在であった。
これをきっかけに思考をプラスに捉えられるようになった。
ありのままの自分を生きて行くことで自信を取り戻していく。後に気持ちのコントロールが効かず病んだ時も落ちるところまで落ちたら這い上がるだけ。と、自分の中に光を感じれるようになった。そうすると、じゃあもうちょっと頑張ってみようよ。と自分に問いかけてみる。過去のトラウマ乗り越えようよ。いつまでも過去に縋っていたらカッコ悪いからさ。
そうしていつからか、絶対乗り越えたい過去になった。
自分の生き方を知ってほしい。自分の生き方で誰かを励ますことができたらいいな。知ることで虐待を予防できるのであれば。そう思いブログで過去についてカミングアウトを決めた。
知ることで守れる命があります。
加害者はどこにいるかわかりません。それは周りの身近な人かもしれない。
いつも優しいのに、小さい子供と一対一になると態度が急変、危害を子供に加える人に。そんなこともあるかもしれない。
その危険から身を守れるのは小さい子供に対しての性的な知育だったり、周囲の人間が守るしか方法がありません。
悲しいことに虐待を受けた子供は2019年だけでも19万人にも及んでいる。
これを食い止めるには大人の助けが必須になります。
※皆さんへのお願い
虐待を打ち明けた人に出会ったら、打ち明けたことに対して、乗り越えたことに対して褒めてもらいたいです。
私たちは、暗い過去を暗い過去のままにはしたくは無いのです。
過去と向き合って得たことも沢山あります。
被害に遭って人生が180度変わりました。
過去と向き合うことは容易なことではありません。生きる限り付き合っていくしか方法はないと感じます。
カミングアウトされたら、【どうして打ち明けようと思ったの?】【どうやって乗り越えたの?】【被害に遭ってから相談できた人は近くにいたの?】と、興味を持って勇気を出して聞いてください。寄り添う気持ちが心を癒します。
その行動が私たちが生きやすくなる環境を作る第一歩なのです。
前途に述べたように、知ることで守れる命はあります。
命を失う事件、身体を他人が傷つけることはあってはならないのです。
ショッキングな内容で心を痛めた方がいらっしゃったかもしれませんがこれを機にあなたの周りの子供が怖い思いや辛い思いをすることが減るきっかけになればと心から願います。
他人事ではなく虐待はすぐそばにあります。
あなたの一声で救われる命があります。
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